発言を読むとき、それまでの会話をどう持つか
共通基盤・ワーキングメモリ・スキーマ・ACT-R の研究をもとに
扱う問い
同じ「それでいいと思う」という一言でも、それまでに何が話されてきたかによって意味が変わります。考えの意味やつながりを読み解くには、その発言がどのような文脈の中で出てきたかを知る必要があります。
このページで扱うのは、「ひとつの発言を読むとき、それまでの会話をどこまで、どういう形で手元に置くか」という問いです。
原則: 後の発言は読まない
話者は、発言した時点ではその後の会話がどう進むかを知りません。AWAI も同様に、ある発言を読むときは、それより前の会話だけを文脈として扱います。後から出てきた考えを文脈に入れることはありません。
会話全体を見渡せばわかる情報を、あえて使わない設計です。その発言が、その時点で何を意味していたのかを読むためです。
その場で共有されている流れ
会話の参加者は、話された内容を共通の認識として積み上げながら話を進めます。Clark と Brennan (1991) はこれを「共通基盤」(common ground) と呼び、参加者は共通基盤を刻々と更新しながら会話を進めると述べています。Stalnaker (2002) も、共通基盤を会話の中で変わっていく、参加者のあいだで共有された情報として位置づけています。
AWAI は、この「その場で共有されている流れ」を次の 2 つの形で手元に置きます。
- 直前の発言は、そこから取り出した考えごとに
- それより前は、発言ごとに短くまとめたもの
一方で、共通基盤に関する文献は、人間が一度にどれだけの情報量を保てるかを定めていません。そこで AWAI は、保持する量の目安をワーキングメモリの研究から取り入れています。人間が一度に保てる情報は 3〜5 個のまとまりに限られること (Cowan 2001)、そして意味ごとにまとめた情報を長期記憶と結びつけて保つ仕組みがあること (Baddeley 2000) を根拠にしています。文脈として保持する内容は共通基盤の考え方から、その量は人間が頭の中に保てる容量をもとに決めています。
なお、いま読んでいる発言の中に含まれるほかの考えも、文脈として一緒に読み込みます。
連想
会話の中では、ずっと前に出た話題がいまの発言をきっかけにふと結びつくことがあります。AWAI は、いまの発言を手がかりにして、会話の中で離れた位置にあっても、意味の近い過去の考えを呼び起こします。
臨床心理学の分野でスキーマを扱った神経認知モデル (Moscovitch et al. 2023) でも、記憶は時間の経過とともに薄れる一方で、いまの状況や手がかりによって呼び起こされると述べられています。AWAI の「連想」も、いまの発言との意味の近さをもとに過去の考えを引き出します。離れた発言ほど、より強い意味の近さを求めます。
先入観 (スキーマ)
人は、過去の経験から形づくられた枠組みを通して、新しい出来事を受け取ります。心理学や神経科学では、これを「スキーマ」(schema) と呼びます。スキーマは関連する記憶を呼び起こしやすくし、新しい情報の受け取り方を方向づけます (Gilboa & Marlatte 2017、Bein & Niv 2025)。前節で触れた神経認知モデル (Moscovitch et al. 2023) でも、働いているスキーマに合う記憶ほど呼び起こされやすいとされています。
AWAI は、話者ごとにこの「先入観 (スキーマ)」を保持します。
- 作るその人がこの会話で話してきた考えのうち、意味の近いものが密に集まっている塊を、その人の先入観として束ねます (密度にもとづいて塊を見つける手法 HDBSCAN。Campello et al. 2013。土台は DBSCAN、Ester et al. 1996)。
- 残す会話が進んで塊の中身が変われば、要約を書き直し、前の版も残します。
- 呼び出すその人が新しく発言したとき、いまの発言に関係する塊を呼び出し、その発言を読む前提として渡します。呼び出された先入観が、いまの話に対して後押しする向きに効くのか、逆らう向きに効くのかも、LLM が判断して読みに加えます。
材料になるのは、あくまでその人がこの会話の中で話した内容です。会話の外での経験は含みません。
繰り返されたものほど効く
同じような内容が何度も出てきた考えは、その人にとって思い出しやすい考えです。
認知アーキテクチャ ACT-R は、記憶の思い出しやすさ (基底レベルの活性) を、その記憶がこれまでにいつ、何度使われたかから計算します (Anderson et al. 2004)。この式は、過去の出現パターンが「その記憶が再び必要になる確率」を予測するという Anderson と Schooler (1991) の分析にもとづいています。
AWAI は、この「使われた回数」を「同じような内容が会話の中で何度出てきたか」に読み替えて適用しています。連想で呼び起こした考えのうち、呼び出した先入観の中にあり、かつ思い出しやすさが十分に高いものを、特に重要な文脈として扱います。
まだ扱えない文脈
AWAI が文脈として使えるのは、その会話の中で話された言葉だけです。会話の外での経験や、参加者のあいだで前提として共有されていること、声色や表情、その場の空気といった情報は扱えません。
人の先入観は、その人のこれまでの人生全体から形づくられています。それに対して AWAI の先入観は、その会話の中だけで作られた、ごく限られたものです。こうした情報も扱えるようになれば、より精度の高い読み取りができると考えています。
このページの参考文献
- Clark, H. H. and Brennan, S. E. (1991). Grounding in communication. In L. B. Resnick, J. M. Levine and S. D. Teasley (eds.), Perspectives on Socially Shared Cognition, pp. 127–149. American Psychological Association. doi.org/10.1037/10096-006訳題: コミュニケーションにおけるグラウンディング補足 — このページで参考にした部分:会話の参加者は、話されたことを共通基盤にしながら、それを刻々と更新して会話を進めるという見方 (grounding)。「その場で共有されている流れ」を持つという考え方の土台です。
- Stalnaker, R. (2002). Common ground. Linguistics and Philosophy, 25(5–6), 701–721. doi.org/10.1023/A:1020867916902訳題: 共通基盤補足 — このページで参考にした部分:共通基盤を、会話の中で変わっていく、参加者のあいだで共有された情報として捉える定義。
- Cowan, N. (2001). The magical number 4 in short-term memory: A reconsideration of mental storage capacity. Behavioral and Brain Sciences, 24(1), 87–114. doi.org/10.1017/S0140525X01003922訳題: 短期記憶のマジカルナンバー 4 — 心的な保持容量の再考補足 — このページで参考にした部分:人が一度に保てるのは 3〜5 個のまとまりほど、という短期記憶の容量。流れにどれだけの量を持つかの目安にしています。
- Baddeley, A. (2000). The episodic buffer: a new component of working memory? Trends in Cognitive Sciences, 4(11), 417–423. doi.org/10.1016/S1364-6613(00)01538-2訳題: エピソード・バッファ — ワーキングメモリの新しい構成要素か補足 — このページで参考にした部分:意味でまとめた情報を、長期記憶と結びつけてひとつにまとめて保つ仕組み (episodic buffer)。発言ごとの要約として流れを持つ形の根拠です。
- Gilboa, A. and Marlatte, H. (2017). Neurobiology of Schemas and Schema-Mediated Memory. Trends in Cognitive Sciences, 21(8), 618–631. doi.org/10.1016/j.tics.2017.04.013訳題: スキーマとスキーマに媒介される記憶の神経生物学補足 — このページで参考にした部分:スキーマは過去の経験から作られた枠組みで、関係する記憶を呼び起こしやすくし、新しい情報の受け取り方を方向づけること。「先入観」という捉え方の土台です。
- Bein, O. and Niv, Y. (2025). Schemas, reinforcement learning and the medial prefrontal cortex. Nature Reviews Neuroscience, 26, 141–157. doi.org/10.1038/s41583-024-00893-z訳題: スキーマ、強化学習、内側前頭前野補足 — このページで参考にした部分:スキーマが記憶の呼び起こしを導くこと。共通する特徴をもつ出来事がまとまって扱われること。似た考えの塊を話者ごとの先入観として束ねる考え方の根拠です。
- Moscovitch, D. A., Moscovitch, M. and Sheldon, S. (2023). Neurocognitive Model of Schema-Congruent and -Incongruent Learning in Clinical Disorders: Application to Social Anxiety and Beyond. Perspectives on Psychological Science, 18(6), 1412–1435.訳題: 臨床的な障害におけるスキーマに合う学習・合わない学習の神経認知モデル — 社交不安への応用とその先補足 — このページで参考にした部分:臨床の文脈でスキーマを扱った神経認知モデルのうち、スキーマ一般に関する部分 — 記憶は時間とともに薄れる一方、いまの状況や手がかりで呼び起こされること、働いているスキーマに合う記憶ほど呼び起こされやすいこと。
- Ester, M., Kriegel, H.-P., Sander, J. and Xu, X. (1996). A Density-Based Algorithm for Discovering Clusters in Large Spatial Databases with Noise. Proceedings of KDD-96, pp. 226–231.訳題: ノイズを含む大規模な空間データベースから、密度にもとづいて塊を見つけるアルゴリズム補足 — このページで参考にした部分:密度でつながった点をひとつの塊とみなす考え方 (DBSCAN)。先入観の塊の作り方の土台です。
- Campello, R. J. G. B., Moulavi, D. and Sander, J. (2013). Density-Based Clustering Based on Hierarchical Density Estimates. PAKDD 2013, LNCS 7819, pp. 160–172. doi.org/10.1007/978-3-642-37456-2_14訳題: 階層的な密度推定にもとづく、密度ベースの塊の抽出補足 — このページで参考にした部分:密度の閾値をひとつに決めず、安定して現れる塊を取り出す手法 (HDBSCAN)。AWAI が先入観の塊を作るのに実際に使っている手法です。
- Anderson, J. R., Bothell, D., Byrne, M. D., Douglass, S., Lebiere, C. and Qin, Y. (2004). An Integrated Theory of the Mind. Psychological Review, 111(4), 1036–1060. doi.org/10.1037/0033-295X.111.4.1036訳題: 心の統合理論補足 — このページで参考にした部分:ACT-R の基底レベル学習 — 記憶の思い出しやすさを、それが使われた時期と回数から計算する式。「同じような内容が何度出てきたか」への読み替えの元です。
- Anderson, J. R. and Schooler, L. J. (1991). Reflections of the Environment in Memory. Psychological Science, 2(6), 396–408. doi.org/10.1111/j.1467-9280.1991.tb00174.x訳題: 記憶に映る環境補足 — このページで参考にした部分:過去の出現のパターンが、その記憶が再び必要になる確率を予測するという分析。上の式の根拠です。